ライトスタンドプリースト 2


「あれは、僕が入団して2年目のことです。
初めて、二軍の試合に出してもらえることになりました。
九回裏、ワンナウトで、ランナーは一塁。同点の場面です。
一塁には、同期で俊足の坂上がいましたし、2人でサインを交換して、ヒットエンドランを狙いました」
「はあ」
相変わらず、僕は間の抜けた返事をしてしまった。
「あ、当時の二軍監督は、といいますか今の一軍の五島監督のことなんですが、何と言うかおおらかな人で、滅多にサインを出さない人なんです。
そこらへんの状況判断は、全部僕らでやってたんですよ。
変な人ですよね。そんな大事な場面なのに、ベンチで横になってぐーすか寝てるんですから」
確かに、試合に初めて出た新人に、そこまで裁量を任せる監督は珍しい。
五島監督・・・
今でもたまに一軍ベンチで腕組みしたままぼーっとしてますけど、あれ寝てるんですね・・・
ですが井上選手、僕が間の抜けた返事をしてしまったのは、そこが疑問だったからではないのです。
「僕はこのとおり大きくないですし、これまでの打席も、確かショートゴロ、キャッチャーフライ、送りバント、ぼてぼての内野安打。
パワーが無いってことは、相手バッテリーも了解済みでした。
なんせ一つも外野に飛んでいないですから。
で、打順も二番ですし、ランナーはその日ニ盗塁の坂上
あっちからすると、いかにも何か仕掛けてきそうな場面です。
なので、まずは盗塁を警戒して、ウエスト気味のアウトハイストレートから入ってくることは読めてました。
これをバントの構えから見送って、まずはボールワン」
当時の打席を、やや興奮気味に語る井上選手。
一流の野球選手は、これまで経験してきた全ての場面を覚えているものだ、と何かの本で読んだことがある。
さすがはプロ野球暦15年、年報1億を軽く越える一流選手は違うなあ。
と、一瞬感動したのだけど、そうじゃないんです井上選手。
その話も大変興味深いのですが、ライトスタンドへのホームランとチベットの修行僧のですねえ・・・
「次は、アウトローへこれまたストレートが来ました。
一塁の坂上を警戒して、やはり変化球は投げにくいみたいです。
これを、再びバントの構えのまま見送って、ぎりぎりボール。これでノーストライクツーボールです。
次の三球目でのエンドランへの布石として、どんな甘い玉でもバントの構えのまま見逃すつもりだったのですが、これは助かりました。
僕らの仕掛けを警戒する余り、ファーボールを出しては元も子もありませんから、次は絶対にストライクを狙ってくるはずです。
そして、球種もストレート一本に絞れます。
やっぱり盗塁は怖いですし、十分バントを見せ付けましたから。
で、一塁の坂上に『次、エンドランいくぞ』と決行のサインを出しました。
これは簡単なサインで、構えるときにバットで地面をコンコンコンと三回叩くんです。
僕の打席に入る時の癖に、地面を二回コンコンと叩く、というのがあるんですが、これを一回増やす形なわけです。
今考えたら、稚拙すぎるサインで恥ずかしいんですけどね。
一応、三塁コーチャーが、いかにも監督からサインが出てる感じで、こう手を叩いたり帽子のつばを触ったりしてるんですが、いかんせん監督が横になって寝てるんで、あちらにもダミーのサインだってことはバレバレなんですよ。
坂上なんて、三塁コーチャーを見ずに、ずっとこっちばっか見てますし。
いやあ、お恥ずかしい」
なるほど。
五島監督が、二軍から一軍監督へ昇進したさい、多くのいわゆる「五島組」の選手を一軍へひきあげた。
この五島組の選手が中心となって、今も続くキャミソールズの黄金時代が築かれたわけだが、これはすごく納得がいく。
井上選手や坂上選手を含む五島組の男達は、常に自分達で戦況を捉え、思考し、実行する能力を持ってこれまで戦ってきたのだ。
これは強いはずである。
「で、『あのバカ、少しは三塁コーチャーも見るふりしろよ。まあ、バレてるんだろうけど』
と、ずっとこっちばっか見てる一塁上の坂上を、ちらっと視界にやった時です。
坂上のずっと後ろのライトスタンドに、何やら黄色い前掛けをした、変な坊主頭の男が見えたんです」


それだ!